天皇皇后両陛下ご来島、そして終戦記念日、、、


去る6月27日と28日の2日間、日本から天皇皇后両陛下がサイパンにご来島されました。
そのための準備や警備で、サイパン島内は、それはそれは大忙しでした。

例えば、両陛下がご宿泊されたホテル日航サイパンですが、ホテルの従業員や旅行関係者の名簿をはじめ、乗り入れる車両のリストなど、かなり早い時期から綿密に準備をされていたようです(両陛下がお泊りになる14階の外廊下の部分に目隠しを施すといった配慮も)。

警備体制に関しても、サイパンがアメリカ領土ということで米国シークレットサービスが担当し、両陛下がご利用になった黒いキャデラックと予備の車両は、米国本土から持ち込んだようです。

シークレットサービスのチェックは厳しいもので、担当するホテル従業員や車両ドライバーなどは、事前にどのようなバックグラウンドがあるのか確認されたようです(すごいですね〜!)。

警備体制がとても厳しく、ロビーは特定の人しか近寄れませんでした。

 


今回のご来島のための準備は、民間だけではなく政府機関のそれもたいへんなものがありました。

米国の大使館などから、最初はごく少数でしたが、政府機関の方々が、今年の4月位からサイパンに駐在して準備を始めておりました。

ご来島される一週間くらい前(6月20日)になると、その数もドッと増え、数々の準備やリハーサルを重ね、両陛下を安全にお迎えしました。

両陛下の黙祷をささげていた後姿が、とても印象的でした。

サイパンは大都市とは異なりますし、住民ものんびりした南国の人たちです。そのおおらかさからでしょうか(笑)、常識では考えられないような非常識なことが、ここサイパンでは常識だったりします。

例えば島のストアーから野菜が消えることがあったり、、、信じられないかも知れませんが、南の孤島では実際に起こります。そういった事情も考慮しながら、より多くの準備の時間が費やされたのではないかと思います。


天皇皇后両陛下のサイパン慰霊旅行には、賛否両論ありました。事実、韓国人は太平洋戦争中、日本からサイパンに連れて来られ、多くの人々が日本人同様犠牲になりました。

そういった背景から、感情的な発言とか運動がなされたようです。太平洋戦争で家族を亡くされた方々の間でも、(形式だけの慰霊旅行に)批判的な方も少なくなかったようです。

予定にはなかった慰霊の場所でした。

それでも、天皇皇后両陛下は、サイパンを訪れました。

スーサイドクリフやバンザイクリフにて、両陛下が頭をさげ、犠牲になった方々へ黙祷を捧げたあの姿を見た時、私は感動せざるを得ませんでした。

私は別に天皇崇拝でも何でもありませんが、あの姿はとても印象的でした。


前日の予行演習では予定に入っていなかった、韓国人の墓碑にも立ち寄り、黙祷を捧げるという事があり、シークレットサービスが慌てたという話も後で聞きました(日本のテレビでもニュースになりましたよね)。

サイパン来島反対派の多かった韓国人協会などが、後日、天皇皇后両陛下に対して感謝の意を込めた謝辞を新聞に掲載をしたことも、私たちをほっとさせました。


この時期、多くの報道陣がサイパンに集まり、何人かの方とお話する機会がありました。

天皇陛下は

「数々の犠牲になった尊い命があったからこそ、現在の日本の繁栄があり、その犠牲になった方々を慰霊することこそ、自分自身の生涯をかけての仕事である」

とお考えだということを、伺いました。

現地人慰霊碑

今まで何の興味も無かった「天皇」に対し、今回のサイパン慰霊旅行を通して、その誠実さと自己への謙虚な姿勢を、ものすごく身近に感じることができたことは、一日本人として、個人的にも非常に良かったと思っています。。

米国人慰霊碑

激戦地となったここサイパン島。両陛下の初の慰霊訪問を終え、8月15日は、今年で60回めを迎える日本人の終戦記念日です。天皇皇后両陛下のご来島により、サイパンで亡くなられた多くの戦争犠牲者が供養されたことを、ゴーサイパンスタッフ一同、信じてやみません。



それではまた、次回の「私的サイパン指南」をお楽しみに〜!

(2005年8月15日)


私的サイパン指南